1689年、松尾芭蕉が日本を北上したとき、流浪の詩人は13日間かけて福島県を縦断した。彼の有名な紀行文『奥の細道』には、同県の「真っ白に咲く卯の花」「古寺」「古洞窟」などが描かれている。ある俳句は、現在にも通ずる福島の秘境的な魅力を表現している。「世の人の見付ぬ花や軒の栗」。
福島は日本で3番目に大きな県であるにもかかわらず、同国を訪れる人々からは見落とされがちだった。しかし、東京と北部の大学都市・仙台の間に位置するこの地域は、ゆっくりとした時間を過ごしたい人向きの、日本の別の側面を見ることができる場所だ。パンデミック以前、福島を訪れる外国人観光客数は、2011年の地震、津波、原発事故の「3つの災害」以前の数をすでに上回っていた。訪問者たちはこの地域の復興への興味と同時に、芭蕉が歩いた江戸時代からそのまま抜け出したかのような未舗装の道と茅葺き屋根の村、大内宿など、その魅力に引きつけられたのである。
秋には、燃えるような紅葉に囲まれた山道を走ったり、只見線に乗車したりすることができる。只見線は東日本大震災のわずか3カ月後の2011年7月に起きた集中豪雨の被害のため11年間運行を中断していたが、2022年10月に運行が再開された路線である。曲がりくねるカーブや橋を走り抜け、荘厳な鶴ヶ城や、創建年807年から続く崖の上の仏閣、円蔵寺などへ旅する列車であり、日本の広大で複雑な鉄道網を走るほとんどの列車が効率性を重視して設計されているのと対照的である。
多くの外国人が、この地に魅せられ滞在している。カナダ人のウィリアム・マクマイケル氏は2007年に来日し、現在は福島大学国際交流センターで准教授を務めている。マクマイケル氏と彼の妻は、震災前に一人、震災の年にもう一人の子供を授かったが、福島を離れることは考えなかったという。「震災後、もっと福島が好きになりました」と彼は話す。「当時、スーパーへ行くとお店の人も苦労しているのに『お互い様だから』と言って、お金を受け取ってくれなかったのです」。
マクマイケル氏が地元の人々に歓迎されていると感じたように、今は福島大学に留学生として新しく来た学生たちにも同じように接している。「美しい日本の原風景、美しい紅葉、親切な人々、面白いお祭り、おいしい食べ物がここにはあります」と彼は言う。ほとんどの人は、福島についてあまり確かな知識を持って来ず、どうしても驚いてしまうそうだ。「津波と原子力事故でひどい災害を受けて、福島がゴーストタウンのようになっているとイメージしているのです。そして、復興と広大な県土を目の当たりにします」。
より安全で、より甘い農産物
日本の農家や漁師は強い誇りを持っており、「誰が一番いい米を作るか」「誰が一番美味しい牛肉を育てるか」「一番新鮮な魚が獲れるのはどこか」といったことで、活発な議論が繰り広げられる。その結果、何世紀にもわたって競争が続いているが、ある一点において、異論はほとんどない。福島は、甘い桃の産地の一つに数えられるということだ。数年前、同県のある農家が栽培した桃は1個300万円(約22,000米ドル)の値で売り出された。その桃の甘さは、一般的な桃の糖度である11~15度を大きく超える40.5度であった。
その他にも、福島ならではの特産品には干し柿の「あんぽ柿」や高級米の「福、笑い」などが挙げられる。現在、福島産の農産物、漁獲物や製品は全て全て放射線のモニタリングが行われている。福島県でピーナッツ農家を営む松崎健太郎氏はこう語る。「震災を経て、福島県はどこよりも放射線モニタリング等の検査機関が充実しています」。2022年には、イギリス、インドネシア、台湾が福島県産品の輸入規制を撤廃または大幅に緩和している。
また、福島には50以上の酒蔵があり、日本有数の酒どころである。福島県農林企画課企画主幹兼副課長の戸城和幸氏は「福島にはおいしい特産品がたくさんありますが、特に一つ紹介するのであれば、日本酒を選ばせていただきます」と言う。「日本で一番大きな品評会である『全国新酒鑑評会』で、福島県は(2022年に)9回連続で金賞受賞数日本一を達成しています」。
福島は豊かな自然に恵まれ、また、海から山まで様々な地形や気候であることが、高級日本酒を始め美味しい食材がたくさん生まれる大きな理由となっている。もちろん、全ての食べ物が美味しいだけでなく、安全もしっかりと担保されており、それは太平洋沿岸の水産物も同様である。そのため、政府は、原発事故により生じた汚染水が太平洋沿岸に放出される前に、ALPS(多核種除去設備)により処理することとしている。国際原子力機関(IAEA)の監視のもと、この水には1リットルあたり1500ベクレル以下の放射性物質しか含まれないこととなっており、それは世界保健機関(WHO)の飲料水のガイドラインの7分の1である。
ツーリズム、昔と今
芭蕉の時代から、日本の伝統的な宿(旅館)は国内観光の要であった。こうした旅館は、天然温泉のある地方に多く存在する。大内啓子氏の営む「光雲閣」は、畳の上に布団を敷き、コース料理をきめ細かに提供する、伝統的な宿だ。
「私たちの宿がある岳温泉は原発から離れていますが、福島全体が行きたくないと思われる場所になったことが大変でした」と大内氏は語る。「最近になって、徐々に人が戻り始めています」。
従来のような温泉体験に加え、2011年3月に起こった出来事の影響で、新たな観光の形も生まれている。2020年に開館した「東日本大震災・原子力災害伝承館」。広島や長崎の原爆資料館と似ていないとも言えないそれは、悲劇を冷静に見つめ、地域の人々の思いを伝え、地域の明るい未来を見据えている。
福島を訪れる観光客の間では、有名な悲劇の現場を訪れる「ダーク・ツーリズム」も多いが、地元の関係者は「ホープ・ツーリズム」と呼ばれる取り組みを推進している。福島県観光交流課主幹の長沼武志氏は「復興に挑む人々との対話を通じて、福島を理解していただきたい」「そして、震災や原子力災害から得た教訓、その逆境からどうすれば脱却できるのかということを考えていただきたいです」と語る。