東北地方における復興の最先端

 

地震、津波、原発事故という三重の災害で壊滅的な打撃を受けた東北沿岸部の風景は、現在、復興とイノベーションによって姿を変えている。

海岸沿いをドライブすると、
復興の気配を
感じることができる。

海から離れた高台に再建された地域社会を、スムーズな新しい幹線道路と道路が結んでいる。復元された鉄道に沿って、真新しい駅舎とともにきれいな建物が整然と並んでいる。海岸線の近くには、頑丈な防波堤と新しく植えられた木立が、将来の津波を防ぐための緑の緩衝材となっている。大規模な農地では、超近代トラクターが活躍している。再開された漁港では、きれいな岸壁沿いに輝く白い船が揺れている。水平線上には風力タービンが点在している。また、海岸沿いでは、荒れ狂う海に飲まれた田畑に無数の太陽光発電パネルが設置され、新たなエネルギーを生み出している。

復興の状況

2011年3月11日に発生した東日本大震災の被害状況を考えると、これらの光景には特に驚かされる。
この史上4番目に大きな地震により、場所によっては高さ8メートルを超える津波が到達し、多くの場所で内陸数キロのメートルまで押し寄せた。約2万人が命を落とし、47万人以上が避難した。数十万棟の建物が倒壊および破損し、インフラやライフラインも甚大な被害を受けた。また、この津波は福島第一原子力発電所で原発事故を引き起こし、放射能汚染と周辺地域への避難につながった。総費用は2,350億米ドルに達すると推定され、世界史上最も経済被害の大きい自然災害となった。

東日本大震災の概要
出典:復興の現状と今後の取り組み 2021 (復興庁)

その後、統計的には復興が著しく進んでいると見られている。
町や都市全体が再建され、地域社会全体が高台に移転するなど、被災者のために48,000戸の新しい住宅が建設された。2021年時点で、計画された道路の長さの95%に当たる541kmが建設済みである。沿岸の地域社会へのアクセスを提供する主要道路と鉄道は、ほぼ完全に再開されている。産業界も震災前の水準以上に回復した。福島、岩手、宮城の3県で製造された製品の価格は、2010年に比べて2019年には約15%増加している。農業と漁業も再開しており、津波の被害を受けた農地の94%、水産加工施設の98%が操業を再開している。

東日本大震災からの復興状況
出典:復興の現状と今後の取り組み 2021 (復興庁)

原発事故により発生した放射性降下物によって汚染された数百万立方トンの土壌と資材の除去に成功した。現在、福島の放射能の空間線量率は、ロンドン、パリ、ニューヨーク、香港、ソウルなどの世界の主要都市と同じレベルになっている。また、原子力から再生可能エネルギーへの移行も進んでいる。昨年、福島県は太陽光発電量で全国1位となり、県内で消費される全エネルギーの43.4%が自然エネルギーでまかなわれており、これは10年前の約2倍に相当する。

福島県における再生可能エネルギーの利用状況
出典:福島県

もちろん、復興が完了したわけではない。福島第一原発の完全な廃炉という重要な課題が残っている。その中には、燃料の取り出し、燃料デブリの回収、汚染水の管理など、前例のない課題も含まれている。また、震災からの避難者のほとんどが地元に戻っている一方、東北地方全体で約4万人の人がまだ地元に戻ることができていない。その避難者の多くは福島県出身であり、福島県の土地の約2.4%では除染が完了しておらず立ち入り禁止区域となっている。

除染の状況、避難命令対象地域
出典:福島県

浪江町の新エネルギー

浪江町は、福島第一原子力発電所から北へ数キロに位置し、これらの進歩と課題を体現している。原発事故の翌日、浪江町長は2万1千人の住民全員を避難させた。2017年になって、浪江町中心部の避難命令が解除され、住民が帰還できるようになった。今でも浪江町の土地の80%は立ち入り禁止区域となっている。

福島県における再生可能エネルギーの利用状況
フォトクレジット:東芝エネルギーシステムズ

このような困難な状況にあっても、浪江町にエネルギーと希望は絶えていない。

浪江町は、浜通り沿岸地域に新たな産業基盤を構築するための国家プロジェクト「福島イノベーション・コースト構想」の中心地の1つとなっている。この構想では、「廃炉、ロボット、ドローン、エネルギー、環境、リサイクル、農林、林業、水産業、医療、航空産業のための取り組み」が行われるとされている。

浪江町にある49ヘクタールの棚塩工業団地は、震災前に別の原子力発電所の建設が予定されていた地域であり、世界的なプロジェクトが集まっている。

その1つが、2020年に完成した福島水素エネルギー研究フィールド(FH2R)である。この世界最大級の10MWプラントは、外周に設置されたソーラーパネルで発電した電力を利用して水素を製造する。このサイトは現在、経済産業省(METI)と新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が設立した技術実証プロジェクトとなっている。浪江町では、政府機関および各企業と連携して、水素エネルギーの製造、貯蔵、利用の方法のイノベーションに取り組んでいる。

浪江町副町長の佐藤良樹氏は、「浪江町で水素エネルギーの自給を実現する水素のサプライチェーンとバリューチェーンを構築することで、脱原発の強いメッセージを発信し、水素社会の先駆的モデルとなることを目指しています」と述べている。

浪江町は、公共施設と自動車での水素エネルギーの利用、パイプではなく電柱のケーブルを使った水素の伝送の試験、カセット式の水素燃料を家庭に届けるシステムの開発などを計画している。

革新的な再構築

この複合施設での最先端の取り組みの1つとして、ドローンの試験用の滑走路が挙げられる。この滑走路は、浪江町の北13kmに位置する南相馬市の福島ロボットテストフィールドの一部である。この分野では世界最大級のこの研究開発施設は、「物流、インフラ点検、大規模災害などに使用される地上、海上、水中、および空中ロボット」の試験と訓練に使用されると、推進者は述べている。

水素サイトとドローンサイトの隣には、福島高度集成材製造センター(FLAM)がある。この国内最大級の施設では、非住宅用大断面木材を中心とした高度集成材の製造が可能である。将来的には、この木材が、浪江町の駅周辺の中心部の再開発プロジェクトにも使用される可能性がある。

佐藤氏は「木造建築で世界的に有名な建築家であり、東京オリンピックスタジアムの設計者でもある隈研吾さんに、浪江町と一緒に町の中心部の再設計を依頼することを決定しました。隈さんは特に、街の伝統と文化を反映した持続可能なエネルギーの街を作るというアイデアに惹かれたようです。」と語った。

また、昨年、浪江町の漁港が再開されたことも希望が見えてきた一因である。出港する船の数は震災前の3分の1以下になったが、地元で獲れた新鮮な魚を見ることは、東北の漁師町にとって強い象徴的な価値がある。最近では、漁師の高齢化や後継者不足が問題になる中、浪江町の港に若い女性漁師が誕生したことも嬉しいニュースである。

浪江町の人口はまだ震災前の数分の一程度だが、新旧の住民を惹きつけるアイデアに溢れている。その1つが、自走電気自動車を使ったスマートモビリティサービスを提供する計画である。浪江町では、自動車メーカーなどの企業と共同で、特に運転できない高齢者の移動をサポートすべく、自動運転をシミュレーションしたオンデマンド交通の実験を行っている。

浪江町総務部の中津川めぐみ氏は、「人口の減少や空き地の多さといった状況を逆手に取って、新技術の試験に理想的なフィールドにすることを決定しました。これらのイノベーションが人を惹き付け、賑わいと成長につながってくれれば幸いです。」と話す。

福島の農業の未来

このような革新的な復興へのアプローチは、より幅広い地域でも見られる。例えば、農業である。

福島県庁農林水産部の戸城和幸氏は、「津波の被害を受けた農地には防災林を作りました。農家が減ってきたため、区画をまとめて大きくしました。また、特に浜通りエリアでは、ロボットトラクターなどのさまざまな省力化スマート農業技術を試しています。」と語る。 また、福島県は、同地域産の製品が放射能に汚染されているという根拠のない不安から生じる風評被害への対策にも積極的に取り組んでいる。さらに、この地域のすべての農産物と水産物は、原発事故以降、放射能について広範囲にモニタリングされてきた。2020年、食品475品目、14,424件がモニタリングされたが、サンプルから規制値を超えるケースが検出されたことはない。
しかし、福島産製品の価格低下の問題は、軽減されてきたものの、まだ完全には解決されていない。例えば、福島県産桃は全国平均よりも15%ほど安い。原発事故後に農産物の輸入規制を行った55か国と地域のうち、41か国と地域が規制を解除した。昨年、米国が福島県内からの食品規制を完全に解除し、続いてEUも規制を緩和した。また、米と桃を中心とした福島産の農産物の輸出は、東南アジアの旺盛な需要に支えられ、震災前の約2倍に増加している。

福島県の稲作と米「福、笑い」

また、福島県は、新発売のプレミアム米「福、笑い」などのブランドも積極的にアピールしている。福島県産農産物のオンラインショップを開設したところ、昨年には過去最高の売り上げを記録した。これを見ても、福島県産農産物の品質に対する認識も高まっている。

震災前以上の状態へ

福島県は、風評被害対策を行うとともに、震災から得た教訓の風化対策にも努めている。実際、福島県庁には、そのために「風評・風化戦略室」が設置されている。

その戦略の1つが、国内外の観光客に、豊かな食文化や農産物、歴史的な名所や景勝地など、福島県の魅力を体験してもらうとともに、震災と現在進行中の復興について知ってもらうための観光振興である。これが「ホープツーリズム」の目的である。福島県は、博物館や記念館などの施設、津波で被害を受けた小学校などの施設、産業復興の現場などを巡るツアーを実施している。

東日本大震災・原子力災害伝承館
東日本大震災・原子力災害伝承館

福島県庁復興・総合計画課の山田清貴氏は、「復興がいつ終わるかについては明確な目標はありません。その最終目標は、人それぞれであり、そうであるべきです。ただし、復興の公式な定義の1つは震災前以上の状態の実現です。」と話す。

10年経った今、この目標に向けて進んでいることに疑いはない。また、復興の最前線を突き進むエネルギーに衰えは見えない。福島県は、自分の目で確かめに来るあなたを温かく歓迎してくれるだろう。

※本記事はフィナンシャルタイムズ商業部門により制作された、復興庁の記事広告(英語)を翻訳した内容になります。