ホーム 読みもの 福島県ではトリプル災害から10年以上が経過し、農産物や観光の活気が戻っている

福島県ではトリプル災害から10年以上が経過し、
農産物や観光の活気が戻っている

会津若松 鶴ヶ城と満開の桜

会津若松城(鶴ヶ城)や春の桜など、観光資源が豊富な福島県。2011年のトリプル災害後、この地域は観光客の数が着実に増加していた。写真:Shutterstock

  • 東日本大震災、津波、そして原子力発電所のメルトダウンから大きな打撃を受けた業界の人々が、そこからどのように立ち直ったかを語る
  • 旅行先としても食材の産地としても、安全な県であることを世界にアピールするため、根強い疑念を払しょくする努力が続けられている

2011年3月11日、日本の本州の町並みが津波に襲われる映像を見て、世界中が恐怖を覚えた。仙台市から130kmの沖合で発生したマグニチュード9.0の東日本大震災によって失われた命に、人々はまっすぐに思いを馳せた。

この大津波で1万9千人以上が犠牲になったが、災害はそれにとどまることなく拡大した。本州の福島県では、最大15 mの津波が防潮堤を越えて押し寄せ、東京電力福島第一原子力発電所が浸水し、施設の冷却装置が機能しなくなり、3基の原子炉がメルトダウンした。この影響により放射能漏れのため、原発の30km圏内が避難区域と設定され、地震や津波の影響で家屋が損壊した人々と合わせると、16万5千人の住民が避難することになった。

メルトダウン後の数週間に行われた検査では、2011年5月時点で原発周辺に住む19万5345人の放射線被曝による健康への悪影響は認められなかったが、原発事故が日本だけでなく、世界中に長期的な影響を与えるのではないかという憶測は止まらなかった。

メルトダウン後、原発から太平洋に流出した排水による被曝を心配し、遠くはアメリカ西海岸やカナダに至るまでパニックが起こり、多くの人々がヨウ化カリウムを摂取し始めたりもした。

現地の状況

福島県内の多くの地域で大規模な除染作業が行われ、除染が宣言されたにもかかわらず、今日に至るまで、福島の沿岸地域を訪れても安全かどうかという疑問は続いている。

「福島県の除染作業は、帰還困難区域を除き完了しています。県内の空間線量は、世界の都市と何ら違いのない程度まで低減しています」と福島県復興・総合計画課の山田清貴氏は話す。

「福島県内の避難指示区域は、2011年の約12%から、現在は約2.3%まで縮小しています」。

東京電力福島第一原子力発電所が立地する大熊町と双葉町は、それぞれ 6月末と8月末に再開され、両町で避難指示区域の一部が解除されたが、これらの被災地が完全に活気を取り戻すには、さらに長い年月がかかると予想される。

福島の多くの住民にとって、震災の経験は過去のものとなったが、決して忘れることはない。

9年前、ミャンマー出身のミン・ポン・アウン氏(36歳)は、東日本国際大学に留学するため、福島県有数の都市であるいわき市(人口約32.5万人、2022年11月現在)に引っ越してきた。そこで彼は、2011年に起こった出来事を思い起こさせるものに日々遭遇したという。

福島県いわき市
いわき市は福島の海岸線に位置する福島県有数の大都市で、人口は2022年11月現在約32.5万人。写真:いわき市

「大学には、職員や生徒が放射線量を測るための線量計がありました」と彼は振り返る。「東日本大震災で多くの人々が悲しい体験をしたことは沢山聞きましたが、私が来日したときは、周りの皆さんは元気に暮らしていました」。

「学生時代にはラーメン店でアルバイトをしていました。(そのレストランの)社長を尊敬していたので、今もいわきに住み続け、正社員として働いています」

日本では、急速に高齢化が進み、日本人の人口が減少している一方で、在留外国人の数は増え続けている。2020年1月に国の総務省が発表したデータによると、日本に住む外国人の数は前年比19万9516人増の286万6715人で、総人口の2.25%を占めた。

ミン・ポン・アウン氏によると、福島にも多くの外国人が暮らしているという。「福島を訪れると、駅や街で普通に外国人が歩き、働いているのを見かけることがあると思います」。

世間の信頼

もう一つ、県の復興の一環として、観光の復興がある。2011年のトリプル災害で大きな打撃を受けた観光産業だが、新型コロナウィルスが流行する前の数年間は、着実に回復していた。

不動沢渓谷
つばくろ谷(不動沢渓谷)を見下ろす不動沢橋は、福島県の吾妻連峰を走る観光道路「磐梯吾妻スカイライン」
をドライブする観光客に人気のスポットだ。
写真:福島県観光復興推進委員会

「2010年の県内訪日外国人の延べ宿泊者数は、約8万7千人でした」と福島県観光交流課長沼武志氏は語る。「2017年には、震災前の人数を超えて9万6千人に達し、2019年には過去最高の約17万8千人に増加しました」。

日本ではパンデミックによる渡航制限が解除され、ワクチンや検査などの条件付きですべての海外からの訪問が可能になった今、長沼氏は県の観光が再び盛り返すことを期待している。

ドリフトレース
福島県二本松市にある自動車レース場「エビスサーキット」は、ドリフトレース体験で国外からの観光客をひきつけている。
写真:福島県観光物産交流協会

「強みである冬のスキーなどのウインタースポーツや、二本松市の自動車レース場であるエビスサーキットなどにインフルエンサーを招待し、実際に体験していただくことによって、福島が安全に旅行できる先として、その魅力を世界に発信する取り組みを行っています」とも。

「台湾と香港からの観光客が一番多かったのは10月から11月の紅葉シーズンでした」。

宿泊事業の経営者たちも、2011年以降、多くのハードルを乗り越えてきた。

「建物の一部損壊、水漏れ、駐車場の破損などもあり、お客様を受け入れるまでに3か月かかりました」と語るのは、旅館「光雲閣」の女将である大内啓子氏。同旅館は、福島県の内陸部3分の1にまたがる中通り地方にある。

温泉旅館 光雲閣
福島県の風光明媚な中通り地方にある温泉旅館「光雲閣」では、観光客が戻ってくるのを待っている間に館内をリニューアルした。
写真:光雲閣

原発事故が、いつまで観光客を敬遠させるのか見通せない中、日本の伝統的な温泉旅館である光雲閣は、政府からの支援を受けながら、この難局を乗り切り、館内施設をグレードアップさせた。

「お客様が見晴らしの良いデッキで阿武隈山系の風景を楽しみながら足湯を楽しめる、新しい設備を作りました」と大内氏はいう。

中通りは歴史と豊かな自然に恵まれた場所であり、旅先としてふさわしいことは言わずもがなだと彼女は考えている。同旅館の温泉は安達太良山の標高1500mにある源泉から麓近くまでひく岳温泉が源泉で、山から8kmにわたって湯樋(ゆどい)を巡り、光雲閣旅館に至る。

「温泉街まで湯樋を通り流れてくる間に、自然に湯もみされ、温度が下がります」「酸性泉でありながら、お肌にやさしい湯です」と大内氏は説明する。

世界の食欲をそそる

福島の農業や漁業も、地震、津波、原発事故によって大きな打撃を受けたが、これらの産業に従事する人々は、断固とした決意を持って復興に向かっている。オクヤピーナッツジャパン代表の松崎健太郎氏も、その一人だ。

「私が契約している農家は80軒あるのですが、震災直後はその皆さんのモチベーションを上げるために苦労しました」と同氏は語る。「しかし積極的に全量検査をすることによって、その結果に農家の方々は安心し、農業を再開してくれました」。

オクヤピーナッツジャパン
オクヤピーナッツジャパン社では、栽培を継続するよう農家を励まし、放射性物質について作物の全量検査を行った。
写真:オクヤピーナッツジャパン

松崎氏の会社は、福島県の3つの地域のうち、一番西に位置する会津にある。海から100kmほど離れているため、津波の直接的な被害は受けず、沿岸部の住民の避難場所として指定された。しかし、3つの災害による経済的な影響を免れることはできなかった。

「会津は盆地で、もともと観光でも有名な土地なのですが、観光客が来なくなり、ピーナッツを加工した菓子など観光土産の売上が全く無くなりました」と松崎氏は言う。そこで、若い人たちと『頑張るべ‼会津喜多方倶楽部』キャンペーンを結成し、震災後の約2年、在庫となった商品をトラックに積んで東京の商店街などへ売りに行き、帰りは避難している人たちが必要としている救援物資を積んで帰るという活動をしました」。

震災から3年、被災者の帰還が進み、会津への観光客も徐々に戻ってきた頃、松崎氏は海外へ売り込むことに目を向けた。彼はタイ、オーストラリア、香港を訪れ、福島産の農産物を再び店頭に並べてくれるよう小売業者と交渉した。

会津 大内宿の街並み
福島県の最西端に位置する会津地方は、鶴ヶ城や武士の歴史で知られる観光地だ。
写真:東北観光推進機構

松崎氏が行ったような試みは、原発事故によって福島産の食品は安全ではないという誤解を解くための政府の努力を補完するものである。

福島県農林企画課の戸城和幸氏はこう語る。「(日本の)消費者庁が2022年3月に結果を発表した『風評被害に関する消費者意識の実態調査』によると、福島の負のイメージを理由に『福島県産品の購入をためらう』と回答した人が6.5%、 食品中の放射性物質について検査していることを『知らない』と回答した人が59.4%でした」。

しかし、この面ではいくつかの勝利があった。2月に台湾が福島を含む5県の日本食品の輸入規制を緩和し、6月には英国が福島産の輸入規制を撤廃した。7月には、インドネシアがすべての日本産食品の輸入検査義務を撤廃した。これらの動きは、同県の農林水産物検査体制に対する世界の信頼を示すものである。

三春の里田園生活館
福島県では、年間を通じて様々な野菜や果物が栽培・販売されている。写真:福島県観光物産交流協会

「福島県産の食品に輸入規制をかけている国・地域は、原発事故直後の55カ国から、今年8月1日時点で12カ国に減少しています。つまり43の国と地域で規制が撤廃されたということです」と戸城氏は言う。

「安全・安心の概念は着実に広がっており、これは県として継続して発信してゆかなければならないと考えています」。

松崎氏にとって、福島が過去10年間に経験したことには、明るい兆しもある。原発事故以来、食品の安全性を確保するために、市町村や県、生産者、流通業者、小売業者が参加する認証制度が導入されたことだ。

「福島は、震災があったことによって(国内の)どこよりも検査機関が充実していて、これによって安心して農業を始められるので空き農地の問題解決にもなると思います」と彼は言う。「以前は考えられなかったことですが、人と人のつながりは温かく、力を合わせることができます」。

※本記事はサウスチャイナ・モーニング・ポスト商業部門により制作された、復興庁の記事広告(英語)を翻訳した内容になります。