平穏の回復
福島県の磐梯山の北側の麓を歩いていると、この雄大な自然風景ははるか昔から変わっていないような感覚を覚える。
実際には、この地域の見事な赤松林は、わずか100年強の歴史しかない。1888年に、磐梯山が噴火し、北側からの岩屑なだれによって川がせき止められ、五色沼と呼ばれる数十の湖と池ができた。また、この噴火によって植物が全滅し、不毛の地となってしまった。これに対して当時の政府は、荒廃した地域の森林再生を成功させた者に国有地を安く売却することを約束した。苦労の末、地元の実業家遠藤十次郎は赤松を中心に10万本の木を植え、その木は無事根付いた。
地元のガイド兼ハンターの小出誠一氏は「遠藤さんたちのおかげで、この森はタカ、リス、ニホンカモシカ、ツキノワグマなどの野生動物が生息する豊かな生態系になりました」と語る。
一年を通して、雄大な景色、野生動物、そして深いターコイズブルー、コバルトブルーからパステルブルーまでさまざまに表情を変える五色沼の色を楽しみに観光客が訪れる。日本で2番目に大きな自然公園の一部であるこの地域では、スキー、スノーシューハイキング、登山、天体観測などのアクティビティが楽しめる。リゾートホテルやロッジが、自然のままの湖に沿って建っている。
コースの終わりに、小出氏は、磐梯山噴火の際の日本赤十字社による被災者救援活動を記念したプレートを指差した。このプレートは、今は静かなこの場所が、かつては災害のあった場所であり、災害を乗り越えた人々の努力のおかげで現在では多くの人がこの地を楽しめるようになったことを思い出させるものである。
観光業の回復
東北地方では福島県以外の地域でも同様に復興が進んでいる。2011年3月に地震、津波、原発事故の3重の災害に見舞われた後、この地域は目覚ましいスピードで復興を遂げている。観光業も息を吹き返してきている。世界的なパンデミックが発生する以前の2019年に東北6県に滞在した外国人観光客の数は2010年の約2倍だった。
しかし、多くの人にとって、悲しいことに「福島」という言葉は核災害のイメージと結びついている。こうした影響の一つに、福島県を訪れる観光客の数は震災前よりも増加しているものの、日本の他の地方や東北の他の地域に比べて回復がやや遅れていることがある。
福島県は、除染の成果によって、現在では、福島の放射能の空間線量率は、ロンドン、パリ、ニューヨーク、香港、ソウルなどの世界の主要都市と同じレベルになっている事実を世界に知ってもらいたいと考えている。さらに、原発事故以降、この地域のすべての農産物と水産物は、放射能について広範囲にモニタリングされてきた。2020年には食品475品目、14,424件がモニタリングされたが、サンプルから規制値を超えるケースが検出されたことはない。
東北地方には便利な新幹線の路線が整備されており、福島には東京駅から新幹線で約80~90分で行けるため、日本への旅行者にとって福島は非常に魅力的である。
さらに、県庁職員は、「福島は日本で3番目に大きな県であるため、沿岸部の浜通り、新幹線が通る内陸部の中通り、そして県西部の山がちな会津の3地域間で気候と文化が大きく異なります。」と説明する。
この変化に富んだ地域で、ホテル経営者とレストラン経営者は、この10年間、観光客を再び迎え入れるための改革を続けてきた。
高地の優良ホテル
裏磐梯高原ホテルは、1958年にオープンした裏磐梯の高地にあるホテルで、高い評価を受けており、何十年にもわたって皇族御用達となっている。
同ホテル支配人の猪越 稔氏は、「2011年の震災後、お客様が激減し、閉店の危機に陥りました。全室リニューアルによるリブランディングを行い、客室と共有スペースのあらゆる場所で民芸作品を楽しめるホテルをデザインすることにしました。」と語っている。
客足が戻り、今では同ホテルの経営は好調である。
同ホテルは、五色沼湖沼群の1つの湖岸に古風な欧風アルプスロッジ式で建てられ、部屋数は45室あり、裏手には裏磐梯の山間の雄大な景色が広がっている。風格のある木製インテリアが宿泊客を癒しの空間へと誘う。敷地内にはさまざまな現代美術作品が展示されており、ギャラリールームでは国内外の美術作品や工芸品が展示されている。雄大な自然環境を満喫した後は、ホテルの露天温泉で疲れを癒すことができる。この露天温泉は、端が池の水面とつながるように設計されているため、自然と一体になる感覚を味わえる。
酒と米のルネッサンス
日本酒が好きな方、興味がある方は、ぜひ福島を訪れるべきである。福島県は、日本で最も権威のある日本酒コンペで、2012年から8回連続で優勝するなど、酒造りのルネッサンスを迎えている。
受賞者の中でも特に注目を集めたのが、中通り地域の二本松市にある奥の松酒造である。3世紀の歴史を持つこの酒蔵は、過去12年間国内最高峰の鑑評会で金賞を受賞している。2018年には、そのあだたら吟醸が、世界で最も緻密な審査が行われるワインコンペ「インターナショナル・ワイン・チャレンジ」で”Champion Sake(チャンピオン・サケ)”を獲得した。
酒造りのチャンピオンになるための秘訣は何か?
19代目当主の遊佐丈二氏は、安達太良山系の雪解け水が40年の歳月をかけて流れ落ち、それが蔵の地下から汲み上げられる源水になると話す。また、遊佐氏は、米と米麹を最高の状態で洗い、磨き、蒸し、温度を管理して貯蔵し、酒を搾り、貯蔵し、瓶詰めするための最新の機械についても説明している。しかし、何よりも、この蔵の最大の特徴は、杜氏である殿川慶一氏が持つ職人技である。
殿川氏は物腰の柔らかい職人であり、40年近い酒造りの経験を持ち、各所で高く評価されている。昨年11月には、他の模範となるように業務に精励し、産業に貢献した者に贈られる黄綬褒章を受章した。殿川氏は約30年前に設立されたアカデミーで講師を務め、地域の新しい世代の杜氏を育成するために惜しみなくその技術を伝えている。殿川氏は、他の酒蔵にいる弟子たちとコンペで賞を争うことになっても気にしないようである。
二本松にある奥の松「ギャラリー」では、米、水、および微生物だけで作られた液体の芸術品の数々に驚かされる。生酒、ひやおろし、大吟醸などの伝統的なものに加え、スパークリングや蜂蜜酒のような斬新なものまで揃っている。
遊佐氏いわく、震災後、輸出は回復し、同社の酒は海外の多くの国々で飲まれるようになったものの、そのすべてが海外で販売されているわけではない。そうした1つが、秋の収穫を終えた晩秋に搾り、加熱処理をせずに出荷する「生酒」である。
そんな日本酒に合わせるぜいたくな和食を求めるなら、2015年に故郷である浜通りのいわき市に帰郷した料理人が開いた「いなびかり」がおすすめである。いなびかりでは、東北各地の水産物と農産物を最高の状態で提供してくれる。最後に完璧に炊き上げられた白米をそのまま頂ける。
運が良ければ、県の支援を受けて開発され、2020年に販売開始された希少なプレミアム米「福、笑い」が食べられる。こうしたプレミアムブランド米の開発は、近年、福島産の米の生産量が回復し、国内の食味評価で上位にランクインするようになったことと深く関わっている。
地産食材の第一人者
また、いわき市では「Hagiフランス料理店」も見逃せない。オーナーシェフの萩春朋氏は、福島の食材のエキスパートである。いわき市郊外にあるフランスの家庭的なオープンキッチンレストランでは、毎晩、訪れる客が福島の食材の魅力の虜になっている。
萩氏は、2011年の震災をきっかけに、食に対する考え方や姿勢が変わり、地元と季節の価値、生産者の重要性を実感したと話す。それ以来、多くの地元の農家や漁師と親交を深め、愛する福島の山、野原、海の恵みである食材をどの時期にどのようにして食べるのが一番美味しいのかをより深く知るようになったという。
萩氏は目を輝かせて、「メニューはありません。お客様には、一期一会でその瞬間に最高のものを最高の食べ方でお楽しみいただきたいと思っています。」と語る。
しかし、シェフがパチパチと音を立てる地物樫の薪の火加減を調節し、料理を作るために戻って行くとき、この「一期一会」を忘れられない夜にするために並外れた技術と情熱が注がれていることを忘れてはならない。
萩氏と夫人は、数時間かけて、石焼き栗、ブドウと合わせたカニ、ビーツのグリル、グラスフェッドビーフなど、地元の食材を使った素晴らしい料理を次々と提供し、地物のワインや日本酒を創造力豊かにペアリングする。その都度、シェフが席に近づき、嬉しそうに産地や旬の話をする。
萩氏は、「震災後の10年間は、厳選された食材が不足していたため、毎晩1組の予約しか受けていませんでした。でも、今は福島県中の農家や漁師等の生産者が回復してきたので、毎晩10名まで予約を受けられるようになりました。」と話す。
ホープツーリズム
福島をはじめとする東北地方には、自然、伝統文化、食などの魅力に加えて、この地域を訪れることで、近年では最も被害の大きかった地震と津波に見舞われた地域のめざましい復興の様子にも触れることができる。
地元民は、震災と今も進むその復興に興味を持つ観光客を喜んで迎えてくれる。博物館、記念館、津波で被災した小学校などの施設や産業復興の現場などが一般公開されている。
浜通りや三陸沿岸をドライブすると、未来の光景が広がってくる。高台に再建された町、水素エネルギーとロボット工学向けに作られた新しい工業団地、沿岸を覆うほどの途切れない太陽光発電所など、地元民だけでなく観光客にも強い希望を感じさせる光景である。