福島の将来

「3つの災害」から12年、より良い復興を目指した取り組みを推進

福島県春の里山風景

何年にもわたる復興の取り組みを経て、福島県の現在の工業生産は震災前を上回る水準に。写真:Pixta

今日、福島県の大半の地域では2011年に起きた東日本大震災の形跡は見られない。未曾有の震災は記録的な地震と津波が太平洋岸を襲い、原子力発電所の事故につながったが、その爪痕はほぼ修復されている。町や市全体が再建され、工業生産は震災前のレベルを超えている。福島の大気中に含まれる放射線量は東京などの大都市よりも低く、おいしいと評判を博した福島県産の桃の人気は復活している。

日本は災害復興において豊富な経験を持つ国だ。火山や台風と共生し、地震や津波が起きることもある。それでも東日本大震災は、チェルノブイリ原発事故以来ともいえる類のない困難をもたらした。

福島県復興・総合計画課の山田清貴主幹は「福島県は、原子力発電所の事故にも見舞われたということが、他県と違う点かと思います」と語る。「他県も地震や津波の被害を受けました。けれども福島が経験したのは、世界でも類を見ない複合災害でした」。

福島県の避難者数は最大で47万人に達し、今日でも3万人が帰還できていない。地域の安全を取り戻すため、これまで甚大な作業が行われた。立入禁止区域外の全面的な除染では、数百万トンの土と汚染物質が除去され、2022年5月末現在、立入禁止区域は同県の約2%強となった。

現在政府が注力しているのは、ALPS(多核種除去設備)処理水の処分だ。2011年以来、近隣諸国は福島の復興を注視しているが、ALPS処理水の海洋放出は特に注目を集めている。ALPS処理水の放出は、規制基準値を全面的に順守した上で徹底的にモニタリングする、これが政府の計画だ。この放出水に含まれるトリチウム濃度は、規制基準上限のわずか2.5%であり、国際原子力機関(IAEA)も、ALPS処理水の海洋放出は科学的根拠に基づいていること、国際的な慣行に沿ったものであることを認めている。

「福島県の復興は、2階建ての建物のようなものです」と山田氏は語る。「原子力事故によって12市町村の住民が避難を余儀なくされました。この原子力事故からの復興が建物の1階だとすると、2階部分は福島県全体の複合災害からの復興作業です。」そしてその建物の土台となるのが、原子力発電所の安全・安心な廃炉だ。

「創造的復興」への道

日本政府が進めているのは、震災前の状況に戻すだけの復旧ではなく、震災前よりも良い地域づくりを目指す「創造的復興」だ。「福島県の広大な土地を活用し日本の科学技術を牽引する拠点にすることで、日本の競争力の強化を図ると同時に、これを起爆剤に福島の復興を目指します」と復興庁の中見大志参事官は言う。

その目標の一つは、帰還住民と新たな住民の双方にとって魅力ある地域を作ることだ。2019年には須賀川市民交流センター、2021年にはLinkる大熊コミュニティセンターがオープンした。これらは、文化・商業・レクリエーションに対する地域のニーズに応えるべく設計された大規模施設だ。

日本のみならず世界の喫緊の課題解決に貢献することも、創造的復興の目標のひとつとして掲げられている。例えば、再生可能エネルギーだ。福島県は、太陽光による発電量で既に全国1位であったところ、2020年には福島県浪江町に世界有数の水素製造プラントを備えた水素エネルギー研究フィールドを開設、水素の製造、貯蔵、輸送、利用を実施する水素社会の実現に貢献している。

浪江町水素エネルギー研究フィールド
福島県浪江町に世界最大の水素製造装置を備えた水素エネルギー研究フィールドが開設。写真:Pixta

また、福島県には、世界最大級のフィールドロボット開発実証拠点がある。2023年4月には、原発敷地の近くに福島国際研究教育機構が開設される予定だ。ロボット、エネルギー、農業、林業などの分野に携わる数百人の研究者がここを拠点に活動する予定であり、そこから民間企業の進出など地域への波及効果が期待されている。

福島国際研究教育機構では、ロボット工学の研究も行われる。震災後、原発の廃炉や除染の際に立ち入れない場所にも到達可能な革新的機械が開発されたが、その改善も実施していく予定だ。その他の主な研究分野には放射線科学と原子力災害対応があり、福島が経験した困難を世界の教訓にしていこうという姿勢が示されている。

「ゼロの町」への帰還

物理的・技術的な課題だけではなく、心理的な壁を乗り越える必要もある。震災前、2011年以前から福島から東京などの大都市への人口流出が問題になっていたが、安全に帰還できる状況になった今日でも戻らない住民が多い。

双葉町も、地震・津波・原子力発電所事故の3つの災害によって壊滅的な被害を受け、地震と津波による被害はほぼ修復された。しかしながら、放射性降下物に対する懸念が住民には残っている。震災後に7,000人近い全住民が避難し、2022年になってようやく帰還が公式に許可された。

新聞を手に持つ人々
双葉町の全人口7,000人近くが震災後に避難した。ようやく町に戻れるようになったのは2022年のことだ。写真提供:双葉町

双葉町の避難者を対象に行われた最近の調査では、回答者の11%が帰還を希望している一方、24%が帰還するかどうか未定としている。双葉町は、2030年までに住民を2,000人にすることを望んでおり、帰還住民や新たな住民を取り込むために新しい住宅の建設やビジネスの誘致に取り組んでいる。「建物の建設費3分の2を補助する国の制度などの手厚い支援を通じて、企業誘致に力を入れており、現時点で24社の町内への誘致が決まっています」と双葉町秘書広報課の橋本靖治課長は言う。「双葉町での起業や生活に不自由がないよう取り組みを進めています」。

双葉町では今、ビジネスが先行している。昼間は町で仕事し、夜は別の場所に帰宅しようと考えている働き手が、近い将来この町へ定住することを選んでくれればと期待を寄せている。双葉町の物価は、日本のなかでも比較的安い。橋本氏は「双葉町をいつか戻ってきたいと思っていただく町にするため、これからも積極的に施策を展開していきます」と言う。「今すぐには戻って来られないかもしれないが、いつかは戻りたい、そう思える町づくりを進めています」。

※本記事はウォール・ストリート・ジャーナル商業部門により制作された、復興庁の記事広告(英語)を翻訳した内容になります。